No.26
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発行者:ジャパ・ベトナム事務局
発行日:2003年 10月20日 |
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櫻庭 真理 |
『ベトナムの貧困地域の現状はどのようなものであるのか、自分の目で見て確かめたい。』これが今回のツアーに参加した理由であった。ツアーを通して多くの貴重な経験をさせてもらったが、私は彼らの現状をどれだけ知ることができたのだろうか。ツアーを振り返りながら考えてみた。 今回私が回った北部のゲアン省には、貯水池、診療所、養鶏、養豚などいくつものプロジェクトが分散してあり、様々な地域の教会、個人のお宅を数多く巡った。残念だったのは、1日で多くの場所を回るため、またベトナム語が話せないため(これは自分の努力不足であるが)に現地の人々の話をゆっくり聞くことができなかったことである。更に、私たちは彼らから見れば客であり、持成しを受ける立場となってしまう。フィーロックでは村中の人々が集まり、歓迎の集会は必要以上に盛大なものであった。何もしていない私がいることが恥ずかしくなる位である。聞けば、ゲアン省はベトナムで最も貧しい省の一つであるという。確かに子供達の服はボロボロで、幼い兄弟の面倒を見ている姿を見ると、きっと貧しいのだろうと思う。診療所も予想以上に小さく、日本の家庭の救急箱位の役割しかしていないのでは、とさえ思ったほどだ。しかし、過剰な歓待で見られたのは、村人のよそ行きの顔のように思う。子供達は本当に楽しそうに笑っていたし、村人たち自身が、私たちを歓迎することを楽しんでいたのも事実であろう。それは私にとっても嬉しいことではあるが、普段の人々の生活、本当の気持ちを私はどれだけ感じることができたのだろうか、と少し疑問が残った。 そのような中で、印象に残っている出来事がある。フィーロックの薬剤師で、医師になるために地元を離れ勉強しているハイさんの自宅を訪問したときのことだ。私たちが自宅を離れようとしたとき、不意にハイさんの奥さんが私の手を握ってきた。 |
何も言わずただ握られ、私も笑顔で返すことしかできなかったのだが、何か感じるものがあった。今でもその感触は覚えている。感謝というよりも、祈るような気持ちだったのではないだろうか。まだ幼い4人の子供を抱えて、夫は遠い地で勉強に励んでいる。医師になって戻ってきたとしても、家族を養えるほどの収入を得られる保証もない。頼りになるのは私たちだけのように感じたのかも知れない。ほんの一瞬の些細な出来事であったが、ゲアンの人々の苦しさを感じられた気がして、胸が痛くなった。皆生きることに必死であり、これが歓迎の笑顔の裏にある真実なのだろうと思った。 さて、一つの国や地域が発展し、より良い生活を人々が享受できるようになるためには、その国、地域の人々自身の力が重要である。そのような面でベトナムの人々は高い潜在能力を持っていると感じられたことも、このツアーでの収穫であった。ベトナム人は東南アジアの中でも勤勉で優秀である、と聞いたことがあったが、実際、現地で出会った人々は皆非常に勤勉、優秀で、モラルも高く、礼儀正しいという印象を受けた。また女性の力が強い(カオバン省の省立病院では、3人の副医院長のうち2人が女性である)ことも頼もしい。貧しい地域には、あらゆるモノが不足し、政治体制や社会組織など彼らだけではどうしようもない問題は多い。しかし彼らは、国際機関、政府、NGOといった外からの援助や働きかけを機に、自分たち自身で地域を良い方向へ変えていくだけの力を持っていると思う。彼らの潜在能力を開花させるために私ができることは何であろうかと考えながら、今回ベトナムという国を選んだのは、きっとベトナムという国、そして人々の可能性に惹かれたのだろう、と思った。 |
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